菅江真澄の道

江戸時代後期の紀行家、菅江真澄が旅したゆかりの地を巡っていく!

菅江真澄ゆかりの地(蚶満寺)

 蚶満寺(かんまん)は仁寿3年(西暦853年)に慈覚大師により、天台宗の寺院として開山されたと伝わる。のちに真言宗を経て、江戸時代に曹洞宗へ改宗し現在へ至る。


 象潟は蚶(きさ)という貝が多い所から付いた地名で干(蚶)満寺もそれにちなむものと推測できる。 


 1689(元禄2)年に『奥の細道』途中の松尾芭蕉が、1784(天明4)年には菅江真澄が立ち寄ったことで知られている。



境内は松尾芭蕉西施の像や石碑や植物があり庭園となっている。


 松尾芭蕉は1689(元禄2)年にここを訪れ「奥の細道」に記録が残り最北の地として知られている。


 象潟や雨に西施がねぶの花 の芭蕉句碑も立っている。


 菅江真澄親鸞聖人の腰掛け石について記録を残した。


 肥前島原の西方寺にあった親鸞が腰掛けたとされる石である。


 松しまやおしま塩かま見つゝきて 爰(ここ)にあはれを象潟のうら


 
 また、1257年に鎌倉幕府5代執権北条時頼が訪れ、寺名を蚶満寺とした。


北条時頼は、象潟の景色のすばらしさについて、惜しまれぬ命も今は惜しきかな また象潟を見んと思へばと歌っている。


また、西行法師が歌ったとされる桜の木がある。


きさかたの桜は浪にうづもれて 花の上こぐあまのつり舟


舟つなぎの石があり、多くの文人がこの辺りを回遊し、ここに船を止めて上陸したと思われる。



『奥の細道』当時の象潟は、松島のように九十九島を浮かべる風光明媚な景勝地であった。


 境内からは様々な島々を眺めることができる。ここが海に囲まれた島だったということを想像しながら散策した。


 菅江真澄は名勝象潟の風景は歌枕の知識から知っていて、ぜひとも見物したい思いあった考えられる。


 なみ遠くうかれてこゝにきさかたや かつ袖ぬるゝ夕ぐれの空  秋田のかりね


参考文献:秋田のかりねを行く(秋田県立博物館)