菅江真澄の道

江戸時代後期の紀行家、菅江真澄が旅したゆかりの地を巡っていく!

菅江真澄ゆかりの地(岩崎)

天明5年1月10日、菅江真澄は湯沢市成沢から湯沢市岩崎へ移動した。


岩崎というところに行こうと、鳴澤という村の端に、雪を分けて流れる水があれば、
きのふけふ 山路は春に なる澤の 水こそみつれ 四方の長閑さ


「湯沢市成沢」


 やがて岩崎に到って、石川氏家に泊る。今日は初庚申の日だといって、火焚き屋(台所)の梁に“男結び”といって、縄でひとところを結んでいる。この一年、家に盗人が入らないためのまじないだという。


 また、天明5年3月に菅江真澄は岩崎城跡に立ち寄ったことが記録に残っている。

「千年公園」


 皆瀬川下流に位置し、戦国時代小野寺氏家臣の岩崎氏の居城であった。1595年、山形城主最上義光の家臣により、落城した。現在は千年公園として整備された。神社や鹿島様があり、周りを緑に囲まれた公園で見晴らしが良い。

「千年公園からの景色」


 岩崎地区三町内に数百年前から伝えられている高さ4mほどのわら人形があり、鹿島様と呼ばれ、三体祭られている。

「鹿島様」


 古来鹿島様は、邪悪なもの、悪霊、疾病などを退散せしめる神通力を持っていると信仰され、村の入り口に置かれた。現在も春秋2回衣替え(鹿島まつり)をし、家内安全、豊作を願い、祭りが行われている。


 岩崎に来たからには菅江真澄も当然、記録を残したと思うが、記録は残っていない。
 秋田の旅で多くの人形道祖神を描いた菅江真澄だが、なぜ岩崎の鹿島様についての記録がないのかは不明だ。


参考文献:菅江真澄全集