菅江真澄の道

江戸時代後期の紀行家、菅江真澄が旅したゆかりの地を巡っていく!

菅江真澄ゆかりの地(矢島)

 天明4年10月2日、菅江真澄は矢島の城下町に宿を取った。


 矢島は平安時代のはじめに鳥海山の登山口として修験山伏がひらいたといわれ、菅江真澄が来たころは、矢島藩1万石の城下町として栄えていた。



 菅江真澄は矢島で3泊しハタハタをはじめ様々な魚を売る市を見ていた。


ハタハタといえば、八峰町や男鹿市が有名だが、由利地方の沿岸部でも江戸時代から盛んに漁が行われていた。


菅江真澄は北の海でしか取れないハタハタにかなり興味を持っていたようだ。矢島でハタハタを見てから17年後の日記、「雪の道奥雪の出羽路」で八峰町八森のハタハタ漁を描きさらに詳しく記した。

ちなみに矢島では菅江真澄がどこに宿を取ったかはわかっていない。また、同じ宿に泊まった商人から歌枕で有名な奈曽の白橋の話を聞いて、その場所を知らずに通り過ぎてしまったことを悔やんでいる。


参考文献:秋田のかりねを行く(秋田県立博物館)
写真提供:つきのわさん