天明5年(1785)4月29日で「小野のふるさと」は終わっている。次の日記は8月3日に津軽との境界、本蓮寺坂を下るところから始まる「外が浜風」である。5月から7月までの3か月、菅江真澄は何をしていたのだろうか。 粉本稿に記録によると菅江真澄が歩いたコースが推定ではあるがわかっている。 湯沢➡横... 続きをみる
2022年2月のブログ記事
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天明5年、8月26日、菅江真澄は境目の土深井村を過ぎ、降りだしそうな空模様を気にしながら、松山村へ足を早めていた。 「紀の国坂の標柱」 松山村には境目番所が置かれ、駅場のあわただしいさもあったが、菅江真澄はひたすら先を急ぐかのように通り過ぎ、まもなく紀の国坂へとさしかかった。 「菅江真澄の道の標柱... 続きをみる