平安時代の歌人、小野小町に想いを寄せた深草少将が小町へ贈った芍薬を植えた場所とされ、『芍薬塚』と呼ばれた。 小野小町生誕の地と伝えられる里の人々が、小町が愛した芍薬をこの場所に植え、いにしえの小町を偲んでいたことから芍薬塚と呼ばれていたが、小町を奉る小町堂が建立されたころから小町塚と言われるよ... 続きをみる
2021年11月のブログ記事
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天明4年(1784年)11月、菅江真澄は西馬音内に滞在した後、雄物川の貝沢の渡しを通って現在の湯沢市柳田へ到着した。 現在の柳田は60軒余りの集落で、湯沢市の西部に位置し、雄物川を挟んで羽後町貝沢集落と向き合っている。 菅江真澄は湯沢市と羽後町の境界である雄物川の貝沢の渡しを通って湯沢に入った。現... 続きをみる
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天明4年10月、菅江真澄は滞在した西馬音内を出発し、杉宮の三輪神社に詣でた。 湯沢に至る街道も通り大きな集落が形成されている。ここは杉が鬱蒼(うっそう)としていると記して、始まりは三輪の山より一夜のうちに飛んできた杉に因み、それが大林となったというのだ。 現在、三輪神社の杉林は現存している。 菅... 続きをみる