菅江真澄の道

江戸時代後期の紀行家、菅江真澄が旅したゆかりの地を巡っていく!

菅江真澄ゆかりの地(柳田)

天明4年(1784年)11月、菅江真澄は西馬音内に滞在した後、雄物川の貝沢の渡しを通って現在の湯沢市柳田へ到着した。



現在の柳田は60軒余りの集落で、湯沢市の西部に位置し、雄物川を挟んで羽後町貝沢集落と向き合っている。


菅江真澄は湯沢市と羽後町の境界である雄物川の貝沢の渡しを通って湯沢に入った。現在では国道398号線上に柳田橋が架けられ、昔の雰囲気を感じる暇もなく湯沢市に入ってしまう。


 雄物川を渡ると自然堤防上に柳田城跡がある。中世、柳田城主柳田治兵衛(じへい)が治めたところ近世はこの旧城郭内に移住して村を形成したところであった。 



柳田では草彅氏と出会い、初めて雪国の正月を過ごした。


(10月19日、雄物川を渡って柳田村という笹葺き屋根の家ばかり多く並んだところに入った。草彅という情け深い老人に宿を頼むと[雪が消えるまでここで過ごしなさい]と懇ろ(ねんご)に言ってくれた。これを心の頼りとして今日は暮れた。)


 草彅氏はこの季節は先に進むのが大変だろうから初対面の菅江真澄に雪が消えるまでゆっくり滞在するのを勧めたようだ。



その間、雪国の生活を観察しながら雪垣、雪袴、蓑帽子、かんじき、箱ぞり、はきぞりなどを描いた。その他、菅江真澄は雪が多く降り積もったとき、雪降ろしをしている様子も描いた。


「秋田のかりね」は正月までの日記となっており、それ以降は「小野のふるさと」に記録が残っている。


 三河から北国への旅に出て、最初に迎えた厳しい冬。そこで出会った思いがけない親切は、菅江真澄を力づけるとともに出羽秋田への好ましい印象を刻んだのかもしれない。


参考文献:秋田のかりねを行く(秋田県立博物館)
     菅江真澄と秋田(無明舎出版)