蚶満寺(かんまん)は仁寿3年(西暦853年)に慈覚大師により、天台宗の寺院として開山されたと伝わる。のちに真言宗を経て、江戸時代に曹洞宗へ改宗し現在へ至る。 象潟は蚶(きさ)という貝が多い所から付いた地名で干(蚶)満寺もそれにちなむものと推測できる。 1689(元禄2)年に『奥の細道』途中... 続きをみる
にかほ市のブログ記事
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象潟での二日目の旅は雨風が止まなかったものの、宿でじっとしてもいられず、磯部を歩き回った。三日目には中橋から船に乗り潟巡りに出かけた。 菅江真澄は船で島々の合間を縫って鳥海山を眺めていた。その時に詠んだ歌がある。 「大平からあおいだ鳥海山は駿河の田子の浦からみた富士山のようで見事であった」 ... 続きをみる
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にかほ市小砂川には菅江真澄が宿泊した「磯家」跡がある。 宿で夜更けに雷だと思った音が、「くだり穴」という岩の空洞に荒波が入る音であったと記録が残っている。 菅江真澄が泊まった家は今の大磯原のくだり穴の近くにあったようだ。 「くだり穴」を探したが残念ながら見つからなかった。どこにあるか地... 続きをみる
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菅江真澄が三崎峠を越えて初めて秋田の地に足を踏み入れたのは、天明4年(1784)の9月25日であった。故郷の三河(愛知県)を出て2年目、31歳の時である。 三崎山は羽州浜街道の難所の一つとされたところで、大石を敷き詰めた旧道がうっそうとした林の中に今も残っている。 松尾芭蕉もこの旧街道を通ってい... 続きをみる