天明4年1月4日、菅江真澄は湯沢市柳田から湯沢市町中へ移動し、そこで歌を詠んだ。 たのしさよ千代もかはらずくみかはす湯沢の里の盞 酒を飲まないならこの湯澤についての歌を詠みなさい。さもないとすぐ飲ませますよ。 現在、湯沢市役所のほぼ向いの力水公園には真澄のこの歌を刻んだ歌碑が建てられている。 湯沢... 続きをみる
菅江真澄の道の人気ブログ記事
-
-
天明4年、菅江真澄は象潟で島めぐりを終えた後、金浦町の飛集落を訪れ、飛の地名の由来とそこの塩竈神社に興味を覚えて由来を記した。 仁賀保町にある芹田に入ると白雪川を渡し舟でで越えた菅江真澄は日本海沿岸に伸びる北国街道さらに北上し由利地方を代表する二万石の城下町・本荘を目指した。 菅江真澄は由利... 続きをみる
-
にかほ市小砂川には菅江真澄が宿泊した「磯家」跡がある。 宿で夜更けに雷だと思った音が、「くだり穴」という岩の空洞に荒波が入る音であったと記録が残っている。 菅江真澄が泊まった家は今の大磯原のくだり穴の近くにあったようだ。 「くだり穴」を探したが残念ながら見つからなかった。どこにあるか地... 続きをみる
-
天明4年10月、笹子川(じねごかわ)にかけられた橋を人の助けをかりながら、かろうじて渡った菅江真澄はここから山越えをして雄勝郡へ抜ける八木山越えの道を選んだ。 この山越えについて菅江真澄は 「木樵りにたまに出会うほかは通るものいない山道を雪に難渋しながら進んだ」 と記録した。 この山境には... 続きをみる
-
菅江真澄が本洗馬(塩尻市)を拠点としていた天明3年の日記は「伊那の中路」だが、更級にある姨捨山の月見に出かけた8日間の記録は「わがこころ」と知られている。 「姨捨駅から見る長野盆地」 姨捨は古くから月見の名所として知られた場所である。 長野県には標高1252mの冠着山(かむりきやま)あるが、別名で... 続きをみる
-
岡崎市にある伝馬町通りには菅江真澄が交流していた国分家があった。ここでは市隠亭(しいんてい)という国分家の書斎に集う人々と和歌や漢字を学んでいた。 (伝馬通り) ※市隠亭は国分伯機が自宅脇に設けた書斎 (市隠亭についての石像) 国分伯機の長男の妻は植田義方の実妹であり、その関係で菅江真澄も国分... 続きをみる
-
天明4年、田茂沢(たむろさわ)に入った菅江真澄は刑罰の柱を見た。この盗人を懲らしめる刑罰の柱が印象にあるのか、次に西馬音内で菅江真澄が目にして記したのは鮭の頭を盗んだ人であった。 西馬音内ではまっさきに市をみた。菅江真澄が見たものはこの市で盗人と女主人とのやり取りであった。交わされる言葉に菅江... 続きをみる