天明4年10月2日、菅江真澄は矢島の城下町に宿を取った。 矢島は平安時代のはじめに鳥海山の登山口として修験山伏がひらいたといわれ、菅江真澄が来たころは、矢島藩1万石の城下町として栄えていた。 菅江真澄は矢島で3泊しハタハタをはじめ様々な魚を売る市を見ていた。 ハタハタといえば、八峰町や男鹿市... 続きをみる
矢島のブログ記事
矢島(ムラゴンブログ全体)天明4年10月2日、菅江真澄は矢島の城下町に宿を取った。 矢島は平安時代のはじめに鳥海山の登山口として修験山伏がひらいたといわれ、菅江真澄が来たころは、矢島藩1万石の城下町として栄えていた。 菅江真澄は矢島で3泊しハタハタをはじめ様々な魚を売る市を見ていた。 ハタハタといえば、八峰町や男鹿市... 続きをみる