菅江真澄の道

江戸時代後期の紀行家、菅江真澄が旅したゆかりの地を巡っていく!

菅江真澄ゆかりの地(前郷)

 天明4年、菅江真澄は本荘では不運にも火事に遭遇し道を確認しながら不安な思いで旅をしていた。結局、進むことができず本荘の入口付近の宿で一泊した。そして砂子沢を越えて矢島街道に入った菅江真澄は埋田から眺める山々の紅葉を見て宮内を過ぎ、八幡神社の隣を通って旧由利町に入った。南福田をへて立井地集落の鮎川を渡った菅江真澄は子吉川を渡り前郷に到着した。菅江真澄は前郷で一泊したと記録が残る。


「前郷駅」


 前郷は地理的に本荘と矢島の中間に位置するため人や物資運搬の中継地として重要な役割を果たしてきた。子吉川を利用した川舟運送も盛んで往来する人のため宿屋も栄えたという。この地域は矢島街道の宿駅と子吉川の水運として大いに賑わっていた。前郷には船着き場跡の説明板がある。


子吉川は県内3番目の規模を誇る川である。現在は橋があるため天候に左右されず渡ることができる。しかし江戸時代は渡し舟で移動していた。一度大雨があると増水し足止めされることもたびたびあった。菅江真澄が渡るときも雨風に悩まされたようだ。
 



菅江真澄はそのまま北上(沿岸)せず、矢島方面(山)に向かったのは、みちのくの旅を堪能したいという思いあったであろう。


「子吉川と鳥海山」


参考文献:秋田のかりねを行く(秋田県立博物館)