菅江真澄の道

江戸時代後期の紀行家、菅江真澄が旅したゆかりの地を巡っていく!

菅江真澄ゆかりの地(豊橋)

 豊橋市には近世、吉田という地名であった。江戸時代には吉田城の城下町として栄え、東海道の宿場町として、吉田宿が設置された。


(吉田宿本陣跡)


 菅江真澄はこの時期の吉田で植田義方から国学を学んでいた。国学は日本の古代の文献を考証し、そこから日本古代の精神を求めていく学問である。万葉集の分析からこれを実践した賀茂真淵は植田義方と親戚関係にある。植田義方を通して賀茂真淵の国学は菅江真澄に大きな影響を与えた。


(吉田城)


 菅江真澄が旅に出た後でも植田義方に品物を送ったり、文通をしたことがわかっている(寛政3年、津軽の深浦から、享和元年6月にロシアの銀貨を送った)


参考文献:真澄紀行(秋田県立博物館)