菅江真澄の道

江戸時代後期の紀行家、菅江真澄が旅したゆかりの地を巡っていく!

菅江真澄ゆかりの地(象潟)

 象潟は昔、東西1.5km南北5kmほどの入江で大小100以上の島々を浮かべ、水面には南にそびえる鳥海山が島の間を縫うようにその姿を映し出していた。松島と並ぶ景勝地として知られていた。


しかし、文化元年(1804年)の地震で潟底が2.4mほど隆起し、潟は一夜にして消滅した。現在は水田に代わり、水田の中に103の島が残っている。




天明4年、菅江真澄は小砂川の旅籠のもと2泊したあと汐越に到着。「岡本」という旅籠に3泊し、歌枕の地、象潟を巡った。


舟つなぎ石が欄干橋のたもとにあり、船を停めるために綱をかけたことからこの名がある。
菅江真澄はここから船に乗って潟めぐりに出かけたであろう。

潟巡りから帰ってきた菅江真澄は「塩越の浦人がアツシという蝦夷人が作った短い衣をマキリという小刀を持ち、漁師は手布で頭を包み、毛笠を被り、男女の区別もつかない姿をしている」と記録に残した。


参考文献:秋田のかりねを行く(秋田県立博物館)

菅江真澄ゆかりの地(小砂川)

 にかほ市小砂川には菅江真澄が宿泊した「磯家」跡がある。


 


  宿で夜更けに雷だと思った音が、「くだり穴」という岩の空洞に荒波が入る音であったと記録が残っている。



 菅江真澄が泊まった家は今の大磯原のくだり穴の近くにあったようだ。


「くだり穴」を探したが残念ながら見つからなかった。どこにあるか地元の住民にも聞いてみたが、どこにあるかわからないと回答があった。


 小砂川からは天気が良いと沖に飛島が見える。この付近には鯨やトド、アザラシが棲んでいたようだ。


ここで2日過ごした後、象潟へ向かった。


参考文献:秋田のかりねを行く(秋田県立博物館)

菅江真澄ゆかりの地(三崎峠)

 菅江真澄が三崎峠を越えて初めて秋田の地に足を踏み入れたのは、天明4年(1784)の9月25日であった。故郷の三河(愛知県)を出て2年目、31歳の時である。


三崎山は羽州浜街道の難所の一つとされたところで、大石を敷き詰めた旧道がうっそうとした林の中に今も残っている。


松尾芭蕉もこの旧街道を通っていて、奥の細道で有名だ。(松尾芭蕉ゆかりの地として大きく紹介されているが、残念ながら菅江真澄の標柱や歌碑は一切ない)


三崎山では大師堂に詣でている。そこで菅江真澄は「この大師堂の下には昔、手長という恐ろしい怪物に捕まった人達の屍(しかばね)がたくさんあったが今では岩が重なって見えない」と昔話を記した。

三崎公園から日本海に沈む美しい夕日を見ることができる。


参考文献:秋田のかりねを行く(秋田県立博物館)